足るを知る
今日は、他人基準をやめて自分基準にシフトしようという話です。
その上で「足るを知る」という言葉を取り上げます。
「足るを知る」という言葉は1度は耳にしたことがあると思うのですが、この言葉は老子の
知人者智、自知者明。
勝人者有力、自勝者強。
知足者富、強行者有志。不失其所者久。 死而不亡者壽。 (老子)
この一節の「知足者富」から来ています。
日本語訳はググればいくらでも出てくるのでここでは割愛します。
この「知足者富」は、無いことを気にしないで現状に満足することが大事、みたいな解釈が多いと思うんですが、僕なりの解釈は、
自分を知る事が出来ればもっと心が豊かになる。
みたいな意味かなと思っています。
人には一人一人違うので、人に出来ても自分には出来ないこと、人に無いけど自分には有ることがあります。
第一、他人より全てにおいて優れている人なんていません。
そこで他の人の良い点ばかり注目するのをやめて自分には何があるのかをもっと知ってみると、自信が出てくるはずなので、特に自分に自信が無い事に悩んでいる人にオススメです。
自分に自信があれば、他人の凄いところを見たとしても、自分は違うところでやれることがあると思えるし、何か失敗してしまった時に前を向けるはずです。
何より堂々と生きられることってめちゃくちゃ楽ですよね。
ちょっと話は変わりますが、
なにか自分に無いものを求めるという欲求自体は僕は否定しません。そこの基準が自分ならば。
結局、他人を羨んでもキリがないんです。
かなりキツい言い方になってしまうかもしれませんが、正直、世の中に本当の平等なんて無いと思っています。
例えばお金なんて、上には上がいるし、大変失礼な言い方ですが同じように下には下がいるんです。
他人を羨んで、例えそれを手に入れたとして、そこで本当に満足できるでしょうか。
僕は絶対もっと欲しくなると思います。
だから、同じ「お金欲しい」でも、他人基準ではなく、自分基準にしましょうよ。
「前澤社長くらい欲しい!」ではなくて、
「プライベートジェットに乗れるくらい欲しい!」
ということです。
長くなりましたが、自分を知って自信を持って生きる事、自分の基準で何が欲しいのかどうなりたいのかを考える事が、「足るを知る」ということなんじゃないでしょうか。
今日の内容で勘違いして欲しくないのは、他人を目標にして努力する事を否定している訳じゃないという事です。
他人を羨むのと、憧れる、目標にするのは違います。
では今日はこのへんで。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
野球がしたい
僕の小さい頃からの夢はプロ野球選手になる事でした。
というか現在進行形で一応夢では思っています。なれるかどうかは別として。
ただ、僕もそれなりに野球関係の人脈はあって、自分の周りや対戦相手の怪物級の人でもそう簡単にプロになれていないのを見たりしているので、自分がプロになれる可能性が限りなく0%に近いことは理解しています。
もう少し現実的な話をすると、軟式野球の大学日本代表としてプレーする事が今の夢であり目標です。
高校生の頃、大学を選ぶ際には全く意識していなかったのですが、競技人生には終わりがあります。
野球の場合、自分が思う通りにプレーできるのはどんなに長くてもせいぜい40歳前後まででしょう。身体能力的なピークはもっと早くて20代後半ですし、あのイチローさんも45歳で引退しています。
理科大にいた頃、あと何年野球を思いっきり出来るのだろうとふと考えました。
そうすると20歳の今、弱小チームでエースで4番でキャプテンなんてやっている場合じゃないと気づいたのです。
確かに理科大にいればキャプテンなので自分の思い通りにチームを動かせるし、自分より上手いショートが入ってくることも99%無いでしょう。
ですがあのチームにいたままでは、大学日本代表はもちろん、全国大会にすら出ることは不可能でした。
また、自分より上手い人がいない環境では、誰にも野球を教わることが出来ませんでした。
個人的には、学生のうちは、野球は強いチームで自分より上手い人と競いながらやりたかったので、いまの大学で野球をやるのが楽しみです。
もうひとつ、いまの大学の学部に進学した理由は、野球を仕事にしたいという事です。
大学生になって2年間、その世界で成功したり、充実した仕事環境で生きている大人を何人も見てきましたが、その人達に共通しているのは、仕事へのパッションやバイタリティーの凄さです。
その源は人それぞれで、家族の為であったり、自分が本当に好きな事を仕事にしていたりと、色々ありますが、僕にとってのそれになり得るものはなんだろうと思った時、スポーツ、特に野球に携わるものであれば、どんな時も情熱を持ちながら仕事が出来ると思いました。
これは受験の時もめちゃくちゃ感じました。
例えば僕だったら、古文単語は全然覚えられないのに、野球選手の出身校なんて覚えようと思ってなくたって多分数百人分言えるんですよね。
こんな経験皆さんもあると思います。
これは本当に大切だと思っていて、僕が今まで見てきた成功者は、みな仕事への熱意、こだわりが他の人に比べてずば抜けていました。
もちろん仕事で成功することが全てでは無いのですが、将来仕事で成功を収めたいと思っている人は、自分が他の誰よりも情熱を注げる分野をぜひ探してみてください。
今日はこのへんで。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
俺の造った橋で大丈夫?
僕が理科大の土木に入ったのは、多少なりとも土木工学に興味があったからであり、適当に選んだという訳ではありません。
小さい頃、「プロジェクトX」という番組で、青函トンネルを造った技術者たちの物語を見て、子供ながらに憧れを抱いた記憶があります。
その後野球を始めた僕は、プロ野球選手を目指しますが、ある事がきっかけで小学校を卒業し、中学生になる時にその夢を諦めてしまいました。(他にも野球をやめた理由はあるのですが。)
その事については後々、話せる時が来たら話します。
その後、将来の仕事について特に何も考えないまま、中学高校と何となく過ごしていました。
そうして迎えた高校2年生、そろそろ志望校を定めないといけない時期が来て、さあ何がやりたいんだろうと思った時、小さい頃の記憶を思い出し、土木・環境工学系を目指すことに決めました。
当時は自分に出来ないことは何も無いと思っていたし、高校の中では数学の成績も上位だったので、まさか大学で苦しむ事になろうとは思ってもみませんでした。いま思うと世界が狭いですね。
そうして大学に入った僕は、1年生の前期で衝撃を受けました。
2週目から1部の授業でついていけなくなってきたのです。その結果、僕は学校が嫌いになります。
朝5時半に起きて、夕方まで訳の分からん授業を受ける日々。精神的にも追い込まれていく中、前期の成績を見て僕は愕然とします。
24単位中12単位を落としたのです。
高校までは、授業に出てれば全部内容は理解していたので、大学もそのノリでいけると思っていた僕の甘い考えが、ここで打ち砕かれました。
もっと言えば、この頃は遊びを優先していたので、全部の授業でギリギリまで欠席していましたし、家から2時間かかることもあって授業中は寝てる事の方が多かったので、当然といえば当然の結果でもあります。
さすがにやばいと思った僕は、後期からひとり暮らしを始めました。
しかし、前期の内容が頭に入っていない状態で後期の授業を受けたところで手遅れでした。
授業にはついていけないし課題も全然分からない。
この辺りから僕は退学を考え始めます。
そうして2年生を迎え、この前期で巻き返せなかったら留年が見えるという状況の中、大学に入ってから1番真面目に勉強しました。
レッドブルを常飲しながら、家にいる時間はほとんど勉強に充てていました。
その結果、得意な科目ではそこそこの点数をとる事が出来ましたが、それでもやはり分からない科目は単位をとる事が出来ませんでした。
この辺で僕は薄々気づいていました。
「これ、向いてないな。」
向いていないという言葉は凄く便利で、努力不足の言い訳と言われたら何も言い返せません。
しかし、生活に支障が出るほどの勉強を続けてこの業界で就職したところで、果たしてその仕事を続けていくことが出来るのか考えました。
結局、僕がこの業界でやっていくには、他人の数十倍の時間努力をしないと他の人に追いつけないということです。
もちろん、それでもその仕事がしたいと言うならば、それは素晴らしい事ですが、僕の仕事観から言うと、それは受け入れ難いものでした。
そもそも、大学の単位すら取れないようなやつが、実際に技術者として仕事をやり遂げることが出来るとは、僕には思えなかったのです。
さらに、土木技術者というのは、橋やトンネル、ダムなどを造る仕事であり、まさに人の命を預かっている職業です。
中途半端な覚悟でなるものでもなれるものでもありません。
こういうわけで、僕は土木技術者を諦めました。
一応1年半土木工学を勉強したので、いかに世の中の技術者の方々が偉大かということが少しだけ分かったつもりです。
ぜひ僕の同級生には、立派な技術者になってもらいたいです。
長くなりましたが、今日はこのへんで。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
なぜ理科大をやめたか
今日から、4日間にわたって、理科大をやめるに至ったきっかけを話していきます。
もちろん様々な要因があるのですが、主に4つに理由をまとめてみました。以下のこの4本立てです。
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『こいつらホントに大学生?』
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『俺の造った橋で大丈夫?』
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『彼女とのお別れ』
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『野球がしたい』
1年生の半ばごろから自分の目指している方向とズレているとは思っていたのですが、やはり大学をやめるのは結構大きな決断でした。その決断に至るまでのエピソードを紹介していきます。
今日は、『こいつら本当に大学生か?』
についてです。
これは理科大に通っていた1年半で、100回くらい思いました。特に印象に残っている事件をいくつかここで。
エピソード1「不親切」
これは、まあ僕が基本的に勉強不足であることは認めます。
ですが、とにかく不親切な人が多かったです。例えば、分からない所を近くの人に聞いても、「ちょっと考えればわかるでしょ」
「先生に聞けば?」
俺の仲良い人は基本的にあまり成績が良くなかったので、あまり仲良くない成績の良い人に聞いたからかもしれませんが、高校の頃の自分は基本的に誰に聞かれてもわかる範囲なら教えていたので、かなりカルチャーショック受けました。これ以降僕は、この年代になれば、自然と困っている他人に手を差し伸べることが出来ると思っていた考えを改めました。
エピソード2「不寛容」
これは、僕が退学を決意する引き金になった事件です。
ライバル意識か受験の頃の癖が抜けてないのか知りませんが、他人が良い成績を取ることが許せない人がいた、という事です。
とある授業で、先生がわかり易く教えてくれたおかげで平均が90点というテストがありました。
この授業のフィードバックアンケートに、なんと「テストが簡単すぎて他人と差が付かない。どうしてくれる。」と書いたやつがいたんですよ。
これはマジで引きました。自分の点数が下がっている訳でも無いのに、どうして他人の努力を認められないんでしょうか。20歳にもなってこんな思考をしてしまう同級生を恐ろしく感じてしまいました。しかしここで確認しておきたいのは、
大学の授業の意義は、その分野について知識を深めるためであって、順位を付け、優劣を競うことでは無い。
ということです。
エピソード3「しょうもない女子」
英語の時間のお話です。
どこの大学でも大体同じだと思うんですが、外国人の先生が担当する場合ありますよね。
先生が外国人の場合、基本的に英語で授業が進行していく訳ですが、同じクラスにいた一部の女子は、
・先生に当てられても英語を全く使わない、話そうという努力もしない。
・日本語で分かりませんを連発。
・それが面白いと思っているのかずっとヘラヘラしている。
これも見ててかなりキツかったですね。
先生は日本語があまり得意でないので、英語で話してくれ、と言うのですが日本語で返すので授業が全然進まない。
僕は英語ができない事は全く責めていません。
そのふざけた態度によってクラス全員の貴重な時間を奪っている事が許せなかっただけです。
以上、3つのエピソードを紹介しました。
書いてて思うのは、基本的に余裕が無いなということ。
これは学生のせいというだけではなくて、課題に追われて忙しい日々に追われているという要因が大きいと思うので、そこは少しかわいそうに思います。
また、中学高校と真面目に勉強ばかりしてきた人が多いので、人付き合いが苦手な子が多いのかな、とも思います。
そして、1番僕が身をもって実感したのは、
学歴より大事な事がたくさんある
ということです。
僕はたまに、「高学歴で羨ましい」と言われることがあります。
しかし、学歴が高い人の中には、人の価値を学歴で測ったり、その大学に通えているのは自分が偉いからだと勘違いしている人がいます。
これは大変残念なことです。
せっかく能力が高いのならば、人を見下しているような時間の使い方をせず、それをもっと有効活用するべきです。
また、世の中のほとんどの学生は、親や友達や先生など、周りの人のサポートによって、勉強をすることが出来ています。
勉強して沢山の知識を手に入れたなら、自分の環境のありがたさにも気づいて欲しいと思います。
綺麗事に聞こえるかもしれませんが、こういう考えを、理科大に入って持つようになりました。
ここで断っておきますが、ひたすらマイナス面を上げてきたので、理科大のイメージが悪いかもしれませんが、もちろん素晴らしい人格の人もたくさんいますよ。
今度バランスをとるためにも理科大に入って良かったこと、メリットについても話そうと思います。
今日はこの辺で。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
2度目の大学受験を終えて
ごあいさつ
はじめまして。
最近、コロナで家にいる時間が長くなって、1人で将来のことを考える中で、人に読んでもらえる文章を書けるようになりたいと思って、はじめた次第です。基本的に毎日書いていこうと思います。
皆さんに読んでもらえるように頑張りますのでよろしくお願いします。