なぜ理科大をやめたか
今日から、4日間にわたって、理科大をやめるに至ったきっかけを話していきます。
もちろん様々な要因があるのですが、主に4つに理由をまとめてみました。以下のこの4本立てです。
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『こいつらホントに大学生?』
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『俺の造った橋で大丈夫?』
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『彼女とのお別れ』
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『野球がしたい』
1年生の半ばごろから自分の目指している方向とズレているとは思っていたのですが、やはり大学をやめるのは結構大きな決断でした。その決断に至るまでのエピソードを紹介していきます。
今日は、『こいつら本当に大学生か?』
についてです。
これは理科大に通っていた1年半で、100回くらい思いました。特に印象に残っている事件をいくつかここで。
エピソード1「不親切」
これは、まあ僕が基本的に勉強不足であることは認めます。
ですが、とにかく不親切な人が多かったです。例えば、分からない所を近くの人に聞いても、「ちょっと考えればわかるでしょ」
「先生に聞けば?」
俺の仲良い人は基本的にあまり成績が良くなかったので、あまり仲良くない成績の良い人に聞いたからかもしれませんが、高校の頃の自分は基本的に誰に聞かれてもわかる範囲なら教えていたので、かなりカルチャーショック受けました。これ以降僕は、この年代になれば、自然と困っている他人に手を差し伸べることが出来ると思っていた考えを改めました。
エピソード2「不寛容」
これは、僕が退学を決意する引き金になった事件です。
ライバル意識か受験の頃の癖が抜けてないのか知りませんが、他人が良い成績を取ることが許せない人がいた、という事です。
とある授業で、先生がわかり易く教えてくれたおかげで平均が90点というテストがありました。
この授業のフィードバックアンケートに、なんと「テストが簡単すぎて他人と差が付かない。どうしてくれる。」と書いたやつがいたんですよ。
これはマジで引きました。自分の点数が下がっている訳でも無いのに、どうして他人の努力を認められないんでしょうか。20歳にもなってこんな思考をしてしまう同級生を恐ろしく感じてしまいました。しかしここで確認しておきたいのは、
大学の授業の意義は、その分野について知識を深めるためであって、順位を付け、優劣を競うことでは無い。
ということです。
エピソード3「しょうもない女子」
英語の時間のお話です。
どこの大学でも大体同じだと思うんですが、外国人の先生が担当する場合ありますよね。
先生が外国人の場合、基本的に英語で授業が進行していく訳ですが、同じクラスにいた一部の女子は、
・先生に当てられても英語を全く使わない、話そうという努力もしない。
・日本語で分かりませんを連発。
・それが面白いと思っているのかずっとヘラヘラしている。
これも見ててかなりキツかったですね。
先生は日本語があまり得意でないので、英語で話してくれ、と言うのですが日本語で返すので授業が全然進まない。
僕は英語ができない事は全く責めていません。
そのふざけた態度によってクラス全員の貴重な時間を奪っている事が許せなかっただけです。
以上、3つのエピソードを紹介しました。
書いてて思うのは、基本的に余裕が無いなということ。
これは学生のせいというだけではなくて、課題に追われて忙しい日々に追われているという要因が大きいと思うので、そこは少しかわいそうに思います。
また、中学高校と真面目に勉強ばかりしてきた人が多いので、人付き合いが苦手な子が多いのかな、とも思います。
そして、1番僕が身をもって実感したのは、
学歴より大事な事がたくさんある
ということです。
僕はたまに、「高学歴で羨ましい」と言われることがあります。
しかし、学歴が高い人の中には、人の価値を学歴で測ったり、その大学に通えているのは自分が偉いからだと勘違いしている人がいます。
これは大変残念なことです。
せっかく能力が高いのならば、人を見下しているような時間の使い方をせず、それをもっと有効活用するべきです。
また、世の中のほとんどの学生は、親や友達や先生など、周りの人のサポートによって、勉強をすることが出来ています。
勉強して沢山の知識を手に入れたなら、自分の環境のありがたさにも気づいて欲しいと思います。
綺麗事に聞こえるかもしれませんが、こういう考えを、理科大に入って持つようになりました。
ここで断っておきますが、ひたすらマイナス面を上げてきたので、理科大のイメージが悪いかもしれませんが、もちろん素晴らしい人格の人もたくさんいますよ。
今度バランスをとるためにも理科大に入って良かったこと、メリットについても話そうと思います。
今日はこの辺で。
最後まで読んでくださりありがとうございました。