俺の造った橋で大丈夫?
僕が理科大の土木に入ったのは、多少なりとも土木工学に興味があったからであり、適当に選んだという訳ではありません。
小さい頃、「プロジェクトX」という番組で、青函トンネルを造った技術者たちの物語を見て、子供ながらに憧れを抱いた記憶があります。
その後野球を始めた僕は、プロ野球選手を目指しますが、ある事がきっかけで小学校を卒業し、中学生になる時にその夢を諦めてしまいました。(他にも野球をやめた理由はあるのですが。)
その事については後々、話せる時が来たら話します。
その後、将来の仕事について特に何も考えないまま、中学高校と何となく過ごしていました。
そうして迎えた高校2年生、そろそろ志望校を定めないといけない時期が来て、さあ何がやりたいんだろうと思った時、小さい頃の記憶を思い出し、土木・環境工学系を目指すことに決めました。
当時は自分に出来ないことは何も無いと思っていたし、高校の中では数学の成績も上位だったので、まさか大学で苦しむ事になろうとは思ってもみませんでした。いま思うと世界が狭いですね。
そうして大学に入った僕は、1年生の前期で衝撃を受けました。
2週目から1部の授業でついていけなくなってきたのです。その結果、僕は学校が嫌いになります。
朝5時半に起きて、夕方まで訳の分からん授業を受ける日々。精神的にも追い込まれていく中、前期の成績を見て僕は愕然とします。
24単位中12単位を落としたのです。
高校までは、授業に出てれば全部内容は理解していたので、大学もそのノリでいけると思っていた僕の甘い考えが、ここで打ち砕かれました。
もっと言えば、この頃は遊びを優先していたので、全部の授業でギリギリまで欠席していましたし、家から2時間かかることもあって授業中は寝てる事の方が多かったので、当然といえば当然の結果でもあります。
さすがにやばいと思った僕は、後期からひとり暮らしを始めました。
しかし、前期の内容が頭に入っていない状態で後期の授業を受けたところで手遅れでした。
授業にはついていけないし課題も全然分からない。
この辺りから僕は退学を考え始めます。
そうして2年生を迎え、この前期で巻き返せなかったら留年が見えるという状況の中、大学に入ってから1番真面目に勉強しました。
レッドブルを常飲しながら、家にいる時間はほとんど勉強に充てていました。
その結果、得意な科目ではそこそこの点数をとる事が出来ましたが、それでもやはり分からない科目は単位をとる事が出来ませんでした。
この辺で僕は薄々気づいていました。
「これ、向いてないな。」
向いていないという言葉は凄く便利で、努力不足の言い訳と言われたら何も言い返せません。
しかし、生活に支障が出るほどの勉強を続けてこの業界で就職したところで、果たしてその仕事を続けていくことが出来るのか考えました。
結局、僕がこの業界でやっていくには、他人の数十倍の時間努力をしないと他の人に追いつけないということです。
もちろん、それでもその仕事がしたいと言うならば、それは素晴らしい事ですが、僕の仕事観から言うと、それは受け入れ難いものでした。
そもそも、大学の単位すら取れないようなやつが、実際に技術者として仕事をやり遂げることが出来るとは、僕には思えなかったのです。
さらに、土木技術者というのは、橋やトンネル、ダムなどを造る仕事であり、まさに人の命を預かっている職業です。
中途半端な覚悟でなるものでもなれるものでもありません。
こういうわけで、僕は土木技術者を諦めました。
一応1年半土木工学を勉強したので、いかに世の中の技術者の方々が偉大かということが少しだけ分かったつもりです。
ぜひ僕の同級生には、立派な技術者になってもらいたいです。
長くなりましたが、今日はこのへんで。
最後まで読んでくださりありがとうございました。